2012年 05月 24日
かっての都「平城京」の北にあって、平城宮や主な寺院の屋根瓦を焼いていた「窯」なと
訪ねてみました。
「歌姫瓦窯跡」。ここは奈良市、国道24号線沿いで、かっては谷あいだったところ。

近くには福祉関係の施設があります。

国道24号線は、京都と奈良を結ぶ主要道路。交通量が多く車がビュンビュン走っています。

京都の木津川市に入って「上人ケ平瓦窯古墳遺跡」。公園になっています。
木津ニュータウンの西の丘陵地です。西の見晴らしがすばらしい。


木津川市相楽地区の田園を歩いていると、こんな立て札と苗代が。
この地区では毎年6月2日、田んぼに一斉に水を入れるそうです。今年は土曜日。

苗代の手前の枯れた花と竹は、田の神様にお供えした後の姿。
近くの「相楽(サガナカ)神社」で1月の「おんだ祭り」にお札を貰い、各家の神棚にお供えの
後、苗代作りの時、ここに移してお供えしお祀りするのだとか。
曽野山地区から嫁いでこられた奥さん(かっての若奥様)から教えて頂きました。
有難うございました。
今年の田植えは二人の息子さんの会社が休みの次の土、日にされるそうです。
水は木津川からパイプで用水池に水を引き、田1枚毎に使用料を払っておられるそうです。
やっぱり水はただではないのだ。
池の中に数個のプロペラが浮いています。空気を入れているのでしょうか。

奈良市側の平城ニュータウンに入って「音如ケ谷瓦窯遺跡」。

須恵器も焼いていた「歌姫西窯跡」。という事は平城京以前から、窯は在ったのだ。

ニュータウンの開発に伴い、先ず発掘がおこなわれ、昭和28年の「音如ケ谷窯跡」から
39年の遺跡、47年の窯跡など、つぎつぎと歴史の証明がなされていったのでしたね。
普段なにげに歩いている道も、実はその下に遺跡が眠っているかもしれないと思うと
あだやおろそかにできないと思うようになりました。
遺跡は「平城宮跡」だけではないのだ。
訪ねてみました。
「歌姫瓦窯跡」。ここは奈良市、国道24号線沿いで、かっては谷あいだったところ。

近くには福祉関係の施設があります。

国道24号線は、京都と奈良を結ぶ主要道路。交通量が多く車がビュンビュン走っています。

京都の木津川市に入って「上人ケ平瓦窯古墳遺跡」。公園になっています。
木津ニュータウンの西の丘陵地です。西の見晴らしがすばらしい。


木津川市相楽地区の田園を歩いていると、こんな立て札と苗代が。
この地区では毎年6月2日、田んぼに一斉に水を入れるそうです。今年は土曜日。

苗代の手前の枯れた花と竹は、田の神様にお供えした後の姿。
近くの「相楽(サガナカ)神社」で1月の「おんだ祭り」にお札を貰い、各家の神棚にお供えの
後、苗代作りの時、ここに移してお供えしお祀りするのだとか。
曽野山地区から嫁いでこられた奥さん(かっての若奥様)から教えて頂きました。
有難うございました。
今年の田植えは二人の息子さんの会社が休みの次の土、日にされるそうです。
水は木津川からパイプで用水池に水を引き、田1枚毎に使用料を払っておられるそうです。
やっぱり水はただではないのだ。
池の中に数個のプロペラが浮いています。空気を入れているのでしょうか。

奈良市側の平城ニュータウンに入って「音如ケ谷瓦窯遺跡」。

須恵器も焼いていた「歌姫西窯跡」。という事は平城京以前から、窯は在ったのだ。

ニュータウンの開発に伴い、先ず発掘がおこなわれ、昭和28年の「音如ケ谷窯跡」から
39年の遺跡、47年の窯跡など、つぎつぎと歴史の証明がなされていったのでしたね。
普段なにげに歩いている道も、実はその下に遺跡が眠っているかもしれないと思うと
あだやおろそかにできないと思うようになりました。
遺跡は「平城宮跡」だけではないのだ。

































