大和郡山市の金魚養殖場あたりなと歩いてみました。 |
大和郡山市はさすが用水池多し。
小南の集落から出発、新池の南に「小南神社」は鎮まっていました。
ご祭神はホンダワケノミコト(応神天皇の別名)、スサノオノミコト。
ご由緒には「雨乞いの神」を祀るとも。
元治元年と大正2年の大干ばつには大変効き目があったらしい。
何故か境内に神武天皇陵遥拝所の石柱が。拝殿の絵馬は武者絵。
北の田中町の「甲斐宮」へ。
ご祭神はアメノコヤネノミコト。
六国史に記載ありの大和の古社なり。
六国史とは日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、日本文徳天皇実録、
日本三代実録の事。
『山きはの 田中のもりに 注連はえて 今日里人は 神まつるなり 玉葉集』と
真新しい石碑。
集落の中に「西休寺」。
何故か本堂の南角軒中に釣鐘が。
4月の「永代経」、12月の「報恩講」「除夜」に撞かれるそうです。
更に県道9号線(大和郡山斑鳩線)を北に。この道は車の通行がホント多い。
「新木山古墳」へ。
陵墓参考地で、地元では「丸山古墳」と呼ばれていました。前方後円墳。
昨年発掘調査され、5世紀前半築造の可能性ありとか。
映画「茜色の約束」のロケ地になりました。
古墳とお墓群の間を抜けて東へ。新木町の「金魚資料館」へ。あぜ道を行くのです。
昭和30~40年代は金魚養殖の最盛期で、近在の農家は稲を植える前に田んぼで金魚を
養殖していたそうです。
それで大雨の日は金魚が田んぼからあふれ出て、用水路に泳いでいた訳です。
当時は大阪からもすくいに来ていたとか。
世の中これからと皆が上を向いていた頃、輸出産品だったですね。
「金魚観音」さまもおわします。
次、近鉄の線路を渡って北へ行くと、時が止まったような地区へ迷い込んでしまいました。
和洋折衷の3階建ての建物。登録有形文化財になりそうですが、「売り家」の張り紙が。
暑い暑いなか、ちめた~い「ごぼう茶」で水分補給しながらの「歩き」でした。