花袋先生に「糸雨の季節のせカレー」はいかが。 |
明治4年(1871)栃木県邑楽(オウラ)郡館林町、現在の群馬県館林市に生まれました。
本名は「録弥」。
「花袋」とは、江戸時代の読本作者「柳亭種彦」の「用捨箱」に出てくる「はなぶくろ」を漢字に
当てたもので、「花瓶」という意味です。
明治19年に上京、23年に「柳田国男」を知り、24年19才の時「尾崎紅葉」に入門しました。
明治40年35才の時、小説「蒲団」を発表。
続いて42年、長編小説「田舎教師」を発表。
文学を志しながらも、家庭の事情で進学を諦め、田舎の小学校の教師となり、病気の為
若い命を落とした青年の物語です。
これは実在した小学校教師の日記を元に書いています。
その中に京都で遊び、続いて「奈良では大仏、若草山、世界に珍しいブロンズの仏像、
2千年昔の寺院などというのをくまなく見た。」という下りがあります。
花袋先生の実体験ですね。
下は田山花袋先生の文学碑(埼玉県行田市水城公園内)。
「民間地理学者」と異名を持つ旅行好きの花袋先生は、小説の他に案内記や紀行文を
数多く遺しています。
ところで「下ツ道」、この北の終着点、それは「平城京」ですね。
花袋先生に「平城京」を訪れた紀行文があります。
明治38年発表の「奈良雨中記」です。
「旅館は今小路、森閑としたる十五畳の奥座敷、冬の名残の寒気と寂寥」とありますから、
これは当時の一流旅館「対山楼」でしょうね。
「車来たりし時、細雨(サイウ)」「奈良の市街は往昔の平城都祉なる廣濶(コウカツ)なる田圃を
隔てて、瓦甍(ガボウ)白亜、描くが如く、雨は濃淡の竪縞織り出して、顧みれば山城河内の
連山は、既に全く雲霧の海」と美しい文章で綴られています。
そしてようようの思いで「大極殿址」の木柱に辿りつくのです。
その夜は宿に棚田嘉十郎とおぼしき人が訪ねて来「大極殿祉の全く荒廃に委せるを
慨(ナゲ)き、清洒なる紀念物を建てんと発起せる者、請ふ、君、これに賛せよ。」という
場面があります。
今の平城宮跡があるのはこの方の努力あってこそですね。有難い事でした。
そこでカレーですが「糸雨(イトサメ)の季節のせカレー」は如何でしょうか。
小説「田舎教師」の中に食に関して「湯屋の2階の会食の肴は、生節の固い煮付けと
胡瓜もみ、鶏卵にささげの汁、これが結構なご馳走。」があります。
そこから夏の食材を使ってカレー素麺を作ってみました。
材料 三輪素麺、合びき肉、自家製カレールー、牛乳、キュウリ、卵、ささげ、トマト、塩レモン、
人参、玉葱、サラダ油、塩。
作り方 ①素麺は2束の半束づつの片方の端を輪ゴムでくくり、3分程茹でます。
こうすると素麺が流れるようにお皿に置けます。
②合びき肉を1kg程買った時、日本酒、塩糀で空炒り5等分し、冷凍して置いた
ものを使います。塩糀で塩味が充分ついています。
③玉葱1/4コと人参3㎝位のみじん切りをサラダ油で炒め、玉葱が透き通れば、
冷凍していた合びき肉1パック、カレールー2人分を入れ、牛乳少々で緩め、
温めておきます。
④キュウリは小さめの四角切りで軽く塩を振っておきます。
⑤ささげ3本は塩ゆでして斜め切りにし、トマト中は6等分します。
⑥卵は3分間茹でます。
⑦塩レモンはレモン丸1コを6等分して少し多めの塩をまぶして1日置くだけで
いいのです。
貯蔵しておけば色々と使えて重宝します。
盛り付けは涼しげにガラスのお皿を使いカレーを敷いて、茹で素麺を流れるように置き、
上にキュウリ、ささげ、トマト、薄切りの塩レモンを体裁よく盛り、茹で卵半分をのせます。
冷め過ぎず、温かくないカレーは夏にぴったり、塩漬けしたレモンが爽やかさを誘います。