山村農家の実情。 |
下草、笹は枯れ、けもの道ばかり。
昔、祖父はこの道を辿って何度も猪を仕留め、市から表彰され何度も地元の新聞に
載ったことがありました。
麓の農業用ため池は土が入り、ガマが茂っている。昔は「ジュンサイ」の宝庫だった。
棚田は長年放棄され、青々とした「瑞穂の国」の面影なし。
少し手を入れた田も、今年の猛暑で稲の穂が伸びず、やっと伸びた小さな穂も
鹿の食害で、今年は収穫できず。
鹿の足跡がくっきりと残っている。
鹿は和歌山との間の「紀淡海峡」を泳いで渡ってきたらしい。
天敵の狼がいなくなった事も原因。
少しの畑は猪、鹿からの侵入を防ぐため、ネットと電線で囲っている。
ネットは市から供給されるが施工は当事者。
夕方から翌日朝まで流す電気代金年間40万円。
鹿は昼間3メートル近い高さのネットをよじ登ってくるらしい。
ディアラインを作っている「キンカン」、実はならず。
鹿の食べない植物は「ナルトサワギク」と「カヤ」。こればかり茂っている。
キクはアルカロイド系を含む有毒外来生物。
この地は「淡路猪鼻城」があった頃の出城跡。石垣が今も残っている。
「城原」(ジョバラ)という。
もちろん井戸は枯れています。
子供時分、石垣を上り下りして、春冬眠から覚めた蛇に出くわした事何度もあり
時代は変わりました。
農業では生計がたたず子供たちは出て行き「限界集落」と呼ばれるようになりました。
緩ったりと流れる時間が取り得、『うさぎ追いしかの山... ♪ 』のわが故郷でした。