酔茗先生に「ゆずり葉 親から子へのカレー」はいかがでしょう |
第5回目は詩人「河井酔茗」先生です。
明治7年(1874)大阪府堺市北旅籠町に生まれました。
本名は又平。
ペンネーム「酔茗」とは、雅号を求められた時、お茶の本の中に「茗に酔う」の熟字を見つけ
「これだ。」と即座に決めたという事です。
酔茗先生のお茶好きは有名で、お茶を飲むというよりも苦い葉を噛むという方になります。
少年期は大岡政談、徳川十五代記、絵本太閤記、八犬伝などに親しんでいました。
17才の頃から「少年文庫」「いらつめ」「学の友」「千紫萬紅」等の雑誌に詩歌、小説、短文を
投稿、その中で「花散る里の弱法師」「鐘の音」の2篇の詩が取り上げられ、掲載されました。
明治31年関西の文学好きの集まり「浪華青年文学会堺支会」を立ち上げ、自宅に事務所
を置き、機関誌「よしあし草」を発行しています。
その中に若き日の与謝野晶子、当時の鳳(ホウ)志ようも一時参加していました。
明治34年28才で詩集「無弦弓」を刊行。
続いて38年に代表作の詩集「塔影」を刊行。
明治40年結社「詩草社」を起こし、機関誌「詩人」を発行。口語自由詩、散文詩を推進して
いきます。
明治42年36才の時から「女子文壇」の詩歌爛、小説、散文の選評を続け、資質のある
女性詩人を育てています。
酔茗先生の功績は青年詩人を育て、詩の発展に尽くした事で「詩壇の母」と語られて
います。
「詩壇の父」は「若菜集」で知られる島崎藤村です。
奈良桜井に関しては「酔茗詩抄」の中の「夕立」があります。
『 杉葉立てたる又六が うま酒かもす三輪の家に
国つみ神と山祇(ヤマヅミ)と 睦まじげなる夕涼み。
すずしの帳かかぐれば 南に高き山つづき
炬火(タイマツ)をふりかざし 大和国原 雨を乞ふ。
<中略して>
あやしき雲の高湧きて 神南備山にかかるよと
見る見る空はさわだちて 夕立すなる十市高市。』となります。
景色が目に浮かんできますよね。
昭和12年 芸術院会員
昭和25年 日本詩人クラブ名誉会員
昭和31年 日本文芸家協会名誉会員に推されています。
そこでカレーですが「ゆずりは 親から子へのカレー」は如何でしょう。
酔茗先生に有名な詩「ゆずりは」があります。
初めに『子供たちよ これはゆずり葉の木です。
このゆずり葉は 新しい葉が出来ると
入れ代わって 古い葉が落ちてしまうのです。
<途中から>
お前たちは何をほしがらないでも
すべてのものがお前たちにゆずられるのです。
太陽のめぐるかぎり ゆずられるものは絶えません。
<また途中から>
世のお父さん、お母さんたちは 何一つ持ってゆかない。
みんなお前たちに譲ってゆく為に 命あるもの、よいもの、美しいものを
一生懸命に造っています。』と続きます。
3月の卒業シーズンになると、卒業式によく取り上げられるそうですね。
2月16日のゆずり葉の木(大雪の翌日の奈良市内)
材料 鶏骨付きもも肉、塩、サラダ油、自家製カレールー、ひよこ豆、卵、鶏ミンチ、人参、
ピーマン、ブロッコリー、玉葱。
作り方①骨付きもも肉2本は軽く塩を振って、出てきた水分を拭きとります。
そのもも肉を魚焼グリルで両面を焼き、焼き色をつけます。
②①のもも肉と自家製カレールー1人分を圧力鍋に入れて、重りがシュルシュルと
動いたら8分炊きます。
③ひよこ豆1カップは約5倍の水に漬け、翌日塩少々入れて、圧力鍋で3分
炊きます。
④圧力鍋に卵1コ、かぶる位の水を入れて火を付けシュルシュルと重りが動けば、
すぐ火を止めて3分置いて取り出します。
⑤人参、ピーマン、ブロッコリーを軽く茹で人参の薄切りとピーマンは型で抜いて
置きます。
⑥フライパンにサラダ油少々入れ、鶏ミンチ120gと玉葱中1/2コのみじん切りを
炒め、塩少々足して自家製カレールー1人分を入れます。
⑦②のもも肉と⑥の鶏ミンチのルーを合せて、少し火を入れます。
⑧仕上げは深めの皿に⑦のカレーとひよこ豆、野菜、茹で卵1/2コを盛って
出来上がりになります。
ひよこ豆の量はお好みですが、相方のご飯やパンが要らない位満腹になります。
今回いつもの自家製カレールーに使うスープをすじ肉、にんにく、生姜から昆布水だけに
変えてみました。
さっぱりした仕上がりです。
カレールーはいつものように大量に作って2人分づつ小分けして冷凍します。
「昆布水」は殆どに出汁として使えます。
カレールーは作り置きしていると、すぐスタンバイできるので便利ですよ。