綾子先生に「故里の懐かしき黒豆さっぱりカレー」はいかがでしょうか。 |
お寺シリーズ「秋篠寺」編8月は俳人「細見綾子」先生を紹介します。
明治40年(1907)兵庫県氷上郡芦田村、現在の丹波市青垣町に生まれ、
生家は江戸時代から続く旧家、父君は芦田村の村長を務めていました。
昨年、建物は丹波市へ寄贈され、一部を展示室に改修した後、一般公開されるようです。
綾子先生の俳句道へのきっかけは、昭和4年23才の時、肋膜炎を患い養生していた時、隣町佐治から往診して貰っていた主治医田村菁斎氏の勧めであったそうです。
田村医師は大阪の松瀬青々主宰「倦鳥」門下の俳人。
綾子先生の天性の才能を見抜いていました。
「倦鳥」への投句で、初入選したのは
『来て見ればほゝけちらして猫柳』。
療養中に加古川の上流、故郷の佐治川のほとりで猫柳のほゝけ散らす
様子を嬉しく感じて詠んだそうです。
昭和5年11月隣町黒井の「俳句会」で青々先生と始めて会いました。
以来青々先生が亡くなる迄、文楽や奈良大和の古寺巡りに同行したりして指導を仰ぐようになったのでした。
青々先生の遺稿集の清書、編集にも携わっています。
後に『青々は句会において特に選評をしなかった。しかし本当と嘘を鋭く見分け、嘘を言わない句をとった。』と述懐しています。
昭和17年第1句集「桃は八重」を上梓、装丁は青々先生の「菜の花」を版画刷りにしてあしらっています。
続いて27年第2句集「冬薔薇」で第2回茅舎賞(現在の現代俳句協会賞)
53年第6句集「曼荼羅」で第13回蛇笏賞
56年勲四等瑞宝章などを受賞しました。
俳人生活約70年間に10冊の句集を刊行しています。
奈良に関する句集に昭和59年上梓の「奈良百句」があります。斑鳩の法隆寺から始まり、吉野までの大和路紀行です。『奈良大和は私のあこがれの地です。いつでも心の中に棲んでいたところです。古い文化と自然との最高の調和の美、私は俳句を作ることにより、少しでも近づいてゆきたく念願いたしております。』とあとがきに記しています。
秋篠寺については、勿論句集「伎芸天」ですね。その中に秋篠寺9句があります。
初春の道中で『畦焼の香(カ)を伎芸天の膝下まで』と詠み、本堂へ入って、有名な『女身仏に春剥落のつづきをり』と詠んでいます。
あとがきに『昭和45年春、秋篠寺へ行ったが過去にも何回か見ているのに、この日に見た伎芸天は実に素晴らしかった。外は春雪の舞い降る冷え冷えとした堂内でこの像を仰ぎ見たのだが、その立ち姿に脈うてるごとき物を感じた。』と。
そこでカレーですが「故里の懐かしき黒豆さっぱりカレー」は如何でしょうか。
豆を詠んだ句『豆稲架の日だまり婆々の居場所なる』があります。
出身地丹波の特産品は黒豆。今では年中手に入る為、いつでも黒豆の炊き込みご飯スタンバイOKですね。今回黒豆を茹でて更に油で揚げてみました。外側の小麦粉がパリッと美味しく仕上がっています。
材料 黒豆、ベイリーフ、塩、アサリとアンチョビのオイル漬け
の缶詰、塩レモン、玉葱、オリーヴ油、ゴーヤ、
赤と黄のピーマン、サラダ油、小麦粉、自家製カレールー、
オリーブ油、黒枝豆、おかヒジキ、
作り方 ①黒豆1カップは前日に5倍の水に漬けて置き、翌日
ベイリーフ1枚と塩ひとつまみ入れて、圧力鍋で7分
炊きます。冷ましてから2等分し、半分は揚げ物用に
とっておきます。
②フライパンにオリーブ油少々入れ、玉葱中1/4個の
みじん切りを炒め、続いてアサリのオイル漬け1缶(60g)、
アンチョビのオイル漬け半缶(フィレ4枚)、塩レモン小スプーン
1杯を入れて更に炒めます。
③②の中に茹でた大豆の半分、自家製カレールー2人分を
入れて、味をなじませます。
④ゴーヤの輪切り、赤と黄のピーマンの細切りは
サラダ油で素揚げし、続いて小麦粉をまぶした茹で
大豆を揚げます。茹で大豆は先にポリ袋に入れ
小麦粉大スプーン2杯を振り入れ全体にからませた物です。
⑤お皿に大麦、玄米入りの白いご飯を盛り、アサリ・アンチョビ・
黒豆カレーを掛けて、ゴーヤ、赤黄のピーマン、
揚げ黒豆を乗せて、オカヒジキを天盛り。
塩茹でした黒枝豆、マイクロキューリ、ミニトマト、
食用ホウズキはそのまま別皿に添えます。
缶詰の燻製アサリ、アンチョビフィレは輸入品ですが、
買いだめしていたのを使っています。特有の生臭さは塩レモンで
消えます。
珍しい野菜のマイクロキューリ、食用ホウズキは明日香村の
「あすか夢販売所」で買いました。
一般に流通される事はありませんでしたが、今では普通に買えます。
味は少し酸っぱさの残る夢見る甘さなんですよ。
ついでにマイクロキューリは2.5㎝長さでコリコリとした食感、
普通のキューリの濃縮された味、ちょっと不思議。
今では少しあしを伸ばせは色々楽しい食品に巡り合えますね。