10月は富岡多恵子先生に「アイリッシュシチュウ カレー味」はいかがでしょうか。 |
小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家と多方面に活躍していた。
また日本芸術院会員、上方お笑い賞選考委員なども兼任。
ある対談で
「富岡多恵子先生は職業作家であるのに読者に媚びないという事は潔い。」と
言われており、覚悟して読まないと途中で挫折してしまう作品もある。
1935年(昭和10) 大阪市に生まれる。
エッセイの中に「幼年時代の自分が父親に溺愛された。」と書いている。
子供の頃は家族に連れられて日本の伝統芸能に親しんでいたので、
作品『ひべるにあ紀行』の中で世話物風に「お前の出世だけを楽しみに
日を送ってきたこのおっかさんのいう事をきいて、ともかくこの手紙を
もってテンプル様のお屋敷へ行っておくれでないかい。
テンプル様の方だってこれを見りゃ悪いようにはなさるまいよ。」と
たっしゃな台詞を載せている。
そして豊中市の大阪府立桜塚高等学校を卒業。
大阪女子大学文学部英文科を卒業。
女子大在学中に詩人小野十三郎氏に師事し、詩を書き始める。
1958年(昭和33)23才 詩集『返礼』を発表。
1958年(昭和33)~1959年(昭和34) 大阪の私立清風高等学校の
英語教師に就いていた。
1960年(昭和35)1月25才 上京。
1965年(昭和40)30才 渡米し10か月間ニューヨークに滞在、
『希望という標的』を著している。
数々の受賞歴を紹介。
1958年(昭和34) 詩集『返礼』で第8回H賞(詩壇の芥川賞と呼ばれている)
1961年(昭和36) 『物語の明くる日』で第2回室生犀星詩人賞
1969年(昭和44) 映画シナリオ『心中天網島』でシナリオ賞秀作賞
(篠田正浩、武満徹との共作)
1973年(昭和48) 小説『植物祭』で第14回田村俊子賞
『冥土の家族』で第13回女流文学賞
1977年(昭和52) 『立切れ』で第4回川端康成文学賞
1994年(平成6) 評論『中勘助の恋』で第45回読売文学賞
1997年(平成9) 『ひべるにあ島紀行』で第50回野間文芸賞
2001年(平成13) 評論『釈迢空ノート』で第11回紫式部文学賞、
第55回毎日出版文化賞
2004年(平成16) 日本芸術院賞
2005年(平成17) 評論『西鶴の感情』で第16回伊藤整文学賞、
第32回大佛次郎賞
奈良との関わりは1979年(昭和54)発表の『菩薩が歩く練り供養 当麻寺』がある。
練供養当日5月14日、楽屋になっている護念院、曼荼羅堂(西方極楽浄土)から
娑婆堂(人間世界)にかかる架け橋、境内の様子、中将姫伝説などを分かり易く、
読み易く紹介している。
そこで多恵子先生にカレーですが
「アイリッシュ・シチュウ カレー味」は如何でしょうか。
『ひべるにあ島紀行』のひべるにあ島(ローマ時代の寒くて遠い冬の国)を
去るについて、最後の晩餐で御馳走になったシチューをカレー味にして
作ってみた。
材料 骨付きラム肉、ニンニク生姜麹、男爵イモ、人参、玉葱、サラダ油、
クミンシード、塩、自家製カレー粉、自家製カレールー、昆布水、
ココナッツミルクパウダー、ローズマリー4枝、赤と緑のピーマン。
作り方 ①骨付きラム肉400gはニンニク生姜麹大スプーン2杯、
自家製カレー粉小スプーン2杯を塗って一晩おく。
②男爵イモ小10個は皮のまま輪に切り目を入れて圧力鍋で5分蒸す。
蒸しあがってすぐに皮を剥いておく。
③フライパンにサラダ油大スプーン1杯入れ、クミンシード
大スプーン1杯で香りを出して後、①のラム肉の表面を焼いて
取り出しておく。
④③のフライパンにサラダ油少々足して、玉葱小1個のみじん切りに
塩少々振って炒め、透明になればカレー粉小スプーン入れて更に炒める。
⑤圧力鍋に③のラム肉、②の男爵イモ4個、④の炒め玉葱、
大振りに切った人参2本、玉葱4個を半分に切ったもの、
カレールー2人分、ココナッツミルクパウダーをぬるま湯と1対5の
割合で溶いた1/2cup、昆布水1cup、ローズマリー2枝を入れて
5分煮る。
⑥深皿に⑤のカレーシチューを入れ新たにローズマリー1枝をのせ、
横の皿に②の男爵イモ(バター乗せ)、細切りした赤と緑のピーマンを
添える。
これで出来上がり。
骨付きラム肉は麹に一晩漬ける事により、柔らかく、根菜やココナッツミルクと
皆仲良く混じりあって得も言われぬ美味しさになった。