五味先生に「夢想剣物語 鰻カレー」はいかがでしょう |
ヒゲと着流しがトレードマークでしたね。
<やすすけ>が正しく、<こうすけ>と呼ばれると、ご機嫌が悪かったそうです。
昭和20年後半から30年代にかけての、一大剣豪小説ブームの主導的位置に立って
おられました。
昭和31年2月、創刊された週刊誌に「柳生武芸帳」の連載を始めています。
これは時代小説を画期的にしました。
殆どのサラリーマンの方が読んでおられたのではないでしょうか。
私も子供ながら、この大人の週刊誌の長期にわたった連載小説で「柳生一族」という言葉を
覚えたように思います。
五味先生は文学以外でも、オーディオマニア、プロ野球解説、手相、人相占いと色んな
分野で活躍しておられました。
「柳生」シリーズを書くときはラフマニノフのシンフォニーを下敷きに、次に紹介します
「喪神」はドビュッシーの音楽を聴いて、思いついたといわれています。
この「喪神」、昭和27年(1952年)下半期第28回芥川賞を受賞しているのです。
非常に心に残る作品なんですよ。
『瀬名波幻雲斎信伴が多武峰山中に隠棲したのは、文禄3年甲午(きのえうま)の歳8月
である。この時、幻雲斎51才。』と書き出しは始まります。
幻雲斎は実在の人物です。墓は明日香村大字上畑「高山寺」にあります。
「臆病に徹せよ、終始臆病であることが、剣の修業と心得よ」と「夢想剣」をあみだしました。
「喪神」とは「放心」放つ心の意味があります。
実はこの「喪神」、翌昭和28年に「魔剣」という題で映画化されています。
関西歌舞伎出身の当時二代目中村扇雀、今の四代目坂田藤十郎が「哲郎太」を演じて
いました。「幻雲斎」は大河内伝次郎でしたね。
皆さんは覚えておられますか。
ささやかな私の体験ですが、この二代目扇雀様が、まだ三代目中村鴈次郎を名乗って
おられた頃、御堂筋の御津寺さんあたりで1週間ほぼ同じ時間にお会いした事が
ありました。
道頓堀で公演があった時、宿舎のホテルから松竹座まで、朝、歩いて通っておられた
のですね。
少しおどおど「お、お早うございます。」と挨拶したことを思い出します。
こちらの目を見て爽やかに「お早うございます。」と返して頂けました。
有頂天になりました。
小柄で少し小太りの「鴈次郎様」でしたよ。
そこでカレーですが、『夢想剣物語 鰻カレー』は如何でしょうか。
夏の食材はやっぱり鰻ですね。
石麻呂殿をからかった家持さまの万葉歌もありますしね。
「石麻呂に 我もの申す 夏やせに よしという物ぞ 鰻取り召せ」と。
鰻は関西風のかば焼きを使いました。
材料 鰻のかば焼き、鰻骨せんべい、サンド用の食パン、さんまの缶詰、おかひじき、
くこの実、バター、ニンニク、生姜、玉葱、人参、ジャガイモ、セロリ、
トマト水煮缶、塩、コショウ、自家製カレー粉、粉唐辛子、チャツネ、スキムミルク、
カシューナッツ、サラダ油、ガラムマサラ。
作り方 ①サンド用の食パンを軽く焼き、小さめの鰻のかば焼きを2等分し、並べてパンに
はさみます。
②一つかみのおかひじきは塩少々入れた湯で2分程茹でます。
③基本のカレールーはいつものように圧力鍋で作ります。
④そのカレールー2カップの中に、さんまのかば焼1缶の身だけを
ほぐし入れ、ガラムマサラを振り、香りを閉じ込めます。
盛りつけは平たいお皿の右上に型で抜いたご飯を置いて、くこの実を飾ります。
その横に容器に入れたカレー、前に鰻サンド、おかひじき、
骨せんべいを体裁よく盛ります。
鰻はやはり本来の味がでる「かば焼き」が最高と云われていますよね。
それをサンドにしてみました。
ルーの中味は、お安い似た味の缶詰「さんまのかば焼き」を使っています。
おかひじきは海藻のひじきに似た野草で、ミネラル分が多いといわれています。
最近スーパーで夏頃、見かけるようになりましたよ。
そろそろ晩夏に入ったこの季節、カレーで乗り切って下さい。